労務・人事法務

2026年9月23日

労働時間・残業代と36協定リスク:裁判例から学ぶ対応策

労働時間・残業代の管理では、「36協定を出しているから残業は問題ない」「固定残業代を払っているから追加の残業代は不要」「管理職だから時間管理は不要」といった理解が、重大な法的リスクにつながります。36協定は、法定労働時間を超える時間外労働や法定休日労働について、労働基準法上の例外を認めるための手続です。協定があっても上限を超える労働をさせることはできず、実際に行わせた時間外・休日・深夜労働については、別途、適正な割増賃金の支払いが必要です。

また、労働時間は勤怠システム上の「申告時間」だけで決まるものではありません。使用者の明示又は黙示の指示の下で業務に従事した時間であるかという実態から判断されるため、始業前の準備、終業後の片付け、待機、必須研修、チャット対応、パソコンのログなども、状況によっては労働時間として検討する必要があります。

本稿では、一般的な企業を念頭に、法定労働時間、36協定、上限規制、割増賃金、固定残業代、管理監督者、労働時間の把握、長時間労働者への健康確保措置までを一つの運用として整理します。建設業、自動車運転者、医師などには特則があるため、該当する場合は一般ルールだけで判断しないことが重要です。

1.この記事が対象とする企業・担当者・場面

  • 36協定は毎年提出しているが、実際の残業時間が協定内か確認できていない
  • タイムカードとPCログ・入退室記録に大きな差がある
  • 所定外労働と法定時間外労働の違いが給与計算に反映されているか不安がある
  • 固定残業代を導入しているが、何時間分・いくら分かが明確でない
  • 店長・部長・管理職を一律に「管理監督者」として残業代の対象外にしている
  • 特別条項を毎月の繁忙対応のため恒常的に使用している
  • 在宅勤務・直行直帰・チャット対応の時間管理ルールが曖昧である
  • 退職者から未払残業代の請求を受け、どの記録を確認すべきか分からない
  • 長時間労働者の面接指導や健康確保の社内フローを整理したい
  • 建設業、運送業、医療等の特則が自社に適用されるか確認したい

2.結論:36協定・時間把握・賃金計算を別々に管理しない

労働時間管理で重要なのは、①法定時間外・休日労働をさせる法的な前提を整えること、②実際の労働時間を正確に把握すること、③把握した時間に応じて割増賃金を正しく計算・支給すること、④上限規制と健康確保措置を継続的に確認することを、一体の運用にすることです。

36協定を締結・届出していても、労働時間の把握が不十分であれば上限違反や未払残業代を見落とします。反対に、残業代を全額支払っていても、36協定がなかったり上限を超えていたりすれば、時間外労働そのものについて法令違反となり得ます。「協定」「勤怠」「給与」「健康管理」を分断しないことが、最も基本的なリスク管理です。

3.所定労働時間・法定労働時間・法定時間外労働を区別する

労働基準法上、原則として1日8時間・1週40時間が法定労働時間です。もっとも、常時使用する労働者が10人未満の一部の商業・サービス業等では、1週44時間の特例が設けられています。また、変形労働時間制などを適法に導入している場合には、時間外労働の判定方法が通常と異なります。

実務では、会社が定めた「所定労働時間」と法律上の「法定労働時間」を混同しないことが重要です。例えば所定労働時間が1日7時間の会社で8時間働いた場合、所定時間は超えていますが、通常はその1時間が直ちに法定時間外労働となるわけではありません。ただし、その時間について通常賃金の支払いは必要であり、週40時間超など別の基準により法定時間外となることもあります。

区分意味主な実務上の注意
所定労働時間就業規則・雇用契約等で会社が定めた勤務時間法定労働時間より短い場合がある。超過しただけで常に25%割増になるわけではない
法定労働時間原則1日8時間・1週40時間一部の小規模事業場の44時間特例や、適法な変形労働時間制等に注意する
法定時間外労働法定労働時間を超える労働36協定の範囲内で行わせ、原則25%以上の割増賃金を支払う
法定休日労働労基法上の法定休日に行う労働原則35%以上。会社所定休日と法定休日を区別する
深夜労働原則22時から翌5時までの労働25%以上を加算。時間外・休日労働と重なる場合は割増率を組み合わせる

4.労働時間は勤怠の名称ではなく「指揮命令下」の実態で判断する

厚生労働省のガイドラインでは、労働時間は「使用者の指揮命令下に置かれている時間」であり、就業規則や雇用契約上の呼び方だけで決まるものではないとされています。使用者の明示又は黙示の指示によって業務に従事した時間かどうかを、具体的な状況から判断します。

そのため、「残業申請をしていないから労働時間ではない」「会社が残業を禁止していたから賃金は不要」と形式だけで処理することは危険です。始業前の制服着用や作業準備、終業後の片付け、業務上必要な待機、参加が事実上義務付けられた研修、上司の指示による夜間チャット対応などは、実態によって労働時間となる可能性があります。

他方、PCへのログイン時間やオフィスへの滞在時間が、そのまま全て労働時間になるわけでもありません。客観記録と申告時間に差がある場合に、その理由を確認し、業務従事の実態を検証する運用が必要です。

4-1.最高裁判例:準備行為も「指揮命令下」であれば労働時間となる

最高裁判所第一小法廷平成12年3月9日判決は、労働基準法上の労働時間について、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、その該当性は労働契約や就業規則等の定めだけではなく、実態に即して客観的に判断されるとしました。

この事案では、造船所の労働者について、作業服・保護具等の装着を事業所内の所定場所で行うことや、副資材の受出し、散水等を始業前に行うことが義務付けられていました。最高裁は、こうした準備行為や更衣所等までの移動・脱離等について、使用者の指揮命令下に置かれたものと評価でき、社会通念上必要な時間は労働時間に当たると判断しました。

したがって、始業前や終業後の行為が直ちにすべて労働時間になるわけではありませんが、会社が業務遂行上必要な行為として義務付け、又は実質的に行わざるを得ない状態にしている場合には、その所要時間を勤怠管理から除外していないか確認する必要があります。

5.36協定の基本:事業場ごとに締結し、時間外労働の前に届け出る

法定労働時間を超えて時間外労働をさせ、又は法定休日に労働させる場合には、原則として、事業場の過半数労働組合又は適法に選出された過半数代表者との間で36協定を締結し、所轄の労働基準監督署長に届け出る必要があります。協定は、工場、支店、営業所等の「事業場」単位で管理するのが原則です。

36協定では、対象となる労働者の範囲、時間外労働をさせる必要がある具体的事由、業務の種類、1日・1か月・1年について延長できる時間数、休日労働など必要事項を定めます。届出済みの協定についても、有効期間、起算日、対象部署、実際の業務との整合を定期的に確認する必要があります。

なお、36協定は労働基準法上の禁止を解除するための制度であり、それ自体が個々の労働者に残業を命じる契約上の根拠になるわけではありません。実際に時間外・休日労働を命じるためには、就業規則、労働協約、労働条件通知書等にも適切な根拠を整備しておくことが重要です。

6.過半数代表者の選び方に不備があると36協定自体が機能しない

過半数労働組合がない事業場では、過半数代表者の選出手続が重要です。過半数代表者は、管理監督者ではなく、36協定の締結当事者を選ぶことを明らかにした上で、投票、挙手、話合い、持回り決議等の民主的な方法により、労働者の過半数の支持を得て選出される必要があります。使用者が指名した者や、親睦会の代表を当然に流用する方法は適切ではありません。

選出手続には、正社員だけでなくパート・アルバイト等を含む事業場の労働者が参加できるようにします。会社は候補者を実質的に指定するのではなく、選出の機会、周知方法、投票・信任の結果などを記録として残しておくと、後から協定の有効性が争われた場合にも確認しやすくなります。

6-1.裁判例:過半数代表者の選出手続を欠く36協定は無効となり得る

釧路地方裁判所帯広支部令和5年6月2日判決では、社会保険労務士事務所において、所長代理の従業員が長年にわたり過半数代表者として36協定等を締結していましたが、当初の話合い後は、協定締結の都度、選出目的を明らかにした投票・挙手等の手続が行われていませんでした。会社は、他の従業員がその者を代表者として受け入れていたことなどから協定は有効であると主張しました。

しかし裁判所は、36協定は使用者が時間外・休日労働をさせることを可能にする重大な効果を持つため、従業員が代表者としての適格性を事実上認めていたとしても、選出目的を明らかにした民主的な手続を欠く以上、過半数代表者の要件を満たさず、36協定は無効であると判断しました。

この裁判例からも、過半数代表者は「以前から代表を務めている人」や「従業員から異論のない人」を形式的に署名者とするのでは足りません。36協定を締結するための代表者を選ぶことを明示し、その都度、適切な方法で選出したことを記録として残す運用が重要です。

7.36協定の上限規制:45時間・360時間と特別条項の4つの天井

一般の事業・業務では、時間外労働の上限は原則として月45時間・年360時間です。1年単位の変形労働時間制で対象期間が3か月を超える場合には、原則月42時間・年320時間となる点にも注意が必要です。

臨時的な特別の事情があり、特別条項付き36協定を締結している場合でも、上限は無制限ではありません。実際の時間外労働と休日労働を管理する際には、次の複数の上限を同時に確認する必要があります。

規制上限実務上の注意
原則の限度時間時間外労働 月45時間・年360時間恒常的な業務量を前提に最初から特別条項へ依存しない
特別条項の年間上限時間外労働 年720時間以内休日労働は年720時間の「時間外労働」には含めないが、月100・平均80の計算では含める
単月上限時間外労働+休日労働が月100時間未満「100時間以内」ではなく100時間未満。36協定の記載時間とは別に実績で確認する
複数月平均時間外労働+休日労働の2〜6か月平均が各80時間以内2、3、4、5、6か月平均を継続的に確認し、協定の年度をまたぐ期間も注意する
45時間超の回数時間外労働が月45時間を超えられるのは年6か月まで特別条項があっても7か月以上45時間超とすることはできない

特に、月100時間未満・2〜6か月平均80時間以内という規制は、36協定にどのような時間を記載したかだけではなく、実際に労働させた時間で判定されます。月末に初めて集計するのでは遅いため、上限に近づいた段階でアラートが出る仕組みを設けることが実務上重要です。

8.特別条項は「毎月忙しい会社」のための通常運用ではない

特別条項を利用できるのは、通常予見することができない業務量の大幅な増加など、臨時的な特別の事情がある場合です。「業務の都合上必要なとき」「業務上やむを得ないとき」のように恒常的な長時間労働を想定する抽象的な理由ではなく、突発的な仕様変更、大規模トラブル、納期のひっ迫など、できるだけ具体的な事情を定めます。

特別条項を毎月発動している、45時間超が恒常化している、発動手続を後付けしているという状態は、制度の趣旨と運用がずれているサインです。特別条項の「発動記録」だけでなく、その月にどのような臨時事情が生じたか、会社が労働時間短縮のために何を行ったかも確認できるようにします。

9.建設業・自動車運転者・医師等は2024年以降も特則を確認する

2024年4月から、従来上限規制の適用が猶予されていた建設業、自動車運転の業務、医師等にも上限規制が適用されています。ただし、一般業種と完全に同じではなく、事業・業務ごとの特則があります。

例えば、建設業は原則として一般の上限規制が適用されますが、災害時の復旧・復興事業については月100時間未満・2〜6か月平均80時間以内の規制に例外があります。自動車運転者では、特別条項付き36協定の年間時間外労働の上限が960時間とされ、改善基準告示との両方を確認する必要があります。医師についても水準に応じた特別な上限と追加的健康確保措置があります。

また、新技術・新商品・新役務の研究開発業務については、労基法36条の一部の上限規制が適用除外となりますが、長時間労働に対する別の健康確保措置が必要です。自社が特則対象に当たる場合は、一般向け36協定届を流用せず、最新の様式・制度を個別に確認します。

10.残業代計算では「所定休日」と「法定休日」を分ける

割増賃金を計算するときは、会社カレンダー上の「休日」と、労働基準法上の「法定休日」を区別します。法定休日に労働させた場合の割増率は35%以上ですが、法定休日ではない所定休日に働いたからといって、常に35%になるわけではありません。その労働によって週40時間を超えるなど法定時間外労働となれば、時間外割増の対象となります。

法定休日を就業規則等で明確にしていない会社では、給与計算担当者がどの休日に35%を適用するのか判断できず、計算が不安定になりやすいため、休日設計と勤怠・給与システムを整合させることが重要です。

労働の種類法定の最低割増率組合せの代表例
法定時間外労働25%以上法定時間外+深夜は合計50%以上
月60時間を超える法定時間外労働50%以上60時間超の法定時間外+深夜は合計75%以上
法定休日労働35%以上法定休日+深夜は合計60%以上
深夜労働(22時〜翌5時)25%以上法定時間内の深夜でも深夜割増が必要

11.月60時間超の時間外労働は中小企業も50%以上

1か月60時間を超える法定時間外労働については、超えた部分の割増率が50%以上となります。中小企業についても2023年4月1日から適用されています。深夜労働と重なれば、時間外50%以上と深夜25%以上を合わせて75%以上となります。

月60時間の集計では、法定休日に行った労働時間は原則として「月60時間を超える時間外労働」の算定には含めませんが、法定休日以外の休日労働が法定時間外労働となる場合は含まれます。36協定の月100時間未満・複数月平均80時間以内の計算とは集計対象が異なるため、同じ「残業時間」という一つの数字だけで管理しない方が安全です。

12.固定残業代を払っていても実労働時間の集計は必要

固定残業代は、一定時間分の時間外・休日・深夜労働の割増賃金を定額で支払う仕組みですが、「何時間残業しても追加支給しない制度」ではありません。通常の労働時間の賃金部分と固定残業代部分を判別できるようにし、固定残業代が法定の計算方法で算定した割増賃金額を下回る場合には、差額を支払う必要があります。

実務では、労働条件通知書・雇用契約書・就業規則・賃金規程において、固定残業代の金額、対応する時間数、対象となる割増賃金の範囲、超過分を追加支給することを整合的に示します。給与明細の表示だけでなく、採用時の説明と実際の給与計算も一致させる必要があります。

また、固定残業代の金額を十分に支払っていたとしても、36協定の上限規制が緩和されるわけではありません。固定残業代の「時間数」が長時間労働を当然視する運用になっていないかも確認すべきです。

13.「管理職」だから残業代不要とは限らない

労働基準法41条の「監督若しくは管理の地位にある者」に該当するかは、役職名だけではなく、経営者と一体的な立場といえる職務・権限・責任、勤務態様、賃金等の待遇を含め、実態から判断されます。社内で「店長」「課長」「マネージャー」と呼ばれていることだけで、当然に管理監督者となるわけではありません。

真に管理監督者に該当する場合には、労働時間・休憩・休日に関する規制の一部が適用除外となりますが、深夜割増賃金の規定は別途適用されます。また、健康確保の観点からは、管理監督者を含めて労働時間の状況を客観的な方法等で把握することが求められます。

管理監督者該当性に疑義がある場合、役職者全員を一律に対象外にするのではなく、職務権限、採用・人事への関与、予算権限、出退勤の裁量、一般社員との待遇差等を職位ごとに整理して確認します。

14.変形労働時間制・フレックスタイム制・裁量労働制でも「残業代ゼロ」にはならない

変形労働時間制、フレックスタイム制、裁量労働制は、一定の要件の下で労働時間の計算方法や配分方法を変更する制度であり、導入しただけで割増賃金の支払義務がなくなる制度ではありません。制度ごとに、就業規則・労使協定・労使委員会決議等の導入要件、対象業務、清算期間、みなし時間、健康確保措置などが異なります。

「制度名はあるが必要な協定が失効している」「対象外の業務に裁量労働制を適用している」「フレックスタイム制なのに清算期間ごとの超過計算をしていない」など、形式と実運用がずれていると未払残業代につながります。制度の適法性と給与計算ロジックをセットで点検する必要があります。

15.労働時間の把握は客観記録を基本にする

厚生労働省のガイドラインでは、使用者は労働日ごとの始業・終業時刻を確認し、記録することが求められ、原則的な方法として、使用者による現認又はタイムカード、ICカード、パソコンの使用時間等の客観的な記録を基礎とする方法が示されています。

やむを得ず自己申告制を用いる場合でも、労働者と管理者に適切な申告方法を説明し、必要に応じて実態調査を行い、客観記録と申告に著しい乖離があれば補正します。「申告できる残業は月20時間まで」など、適正な申告を阻害する上限を設ける運用は避けなければなりません。

実務上は、勤怠記録だけではなく、PCログ、入退室記録、メール・チャットの送受信時刻、スケジュール、業務システムのアクセス記録等を、必要な範囲で照合できる状態にしておくことが重要です。

16.テレワーク・直行直帰でも時間管理は不要にならない

テレワークでも、労働時間の把握と割増賃金のルールは基本的に同じです。情報通信機器の使用時間が始業・終業を反映する場合には、PC等の記録を基礎に労働時間を把握することが考えられます。直行直帰であっても、社内システムへのアクセス記録等により客観的な把握が可能な場合には、それらを無視して自己申告だけに依存することは適切ではありません。

一方、深夜や休日にメールを受信しただけで直ちに全時間が労働時間になるわけではありません。上司が即時返信を求めていたか、応答が評価・業務遂行上事実上必要だったか、実際にどの程度の作業を行ったか等を確認し、社内ルールとして「勤務時間外の連絡への対応」を整理しておくことが有効です。

17.未払残業代の疑いがあるときの社内監査手順

未払残業代の疑いが生じた場合、特定の従業員の申告だけを確認して終えるのではなく、制度・記録・計算のどこにズレがあるかを分けて確認します。特に、給与計算の基礎データと勤怠データが別システムの場合、丸め処理、休憩控除、休日区分、深夜区分、固定残業代控除などの設定差が長期間蓄積することがあります。

確認項目主な確認資料典型的なリスク
労働時間の実態勤怠、PCログ、入退室、チャット、メール、予定表、業務システム申告時間より実労働時間が長い、休憩が自動控除されている
36協定協定届、協定書、代表者選出記録、起算日、特別条項発動記録失効、事業場違い、上限超過、代表者選出不備
給与計算賃金台帳、給与明細、賃金規程、計算設定割増率、基礎賃金、休日区分、60時間超、深夜の計算誤り
固定残業代雇用契約、労働条件通知書、就業規則、賃金規程通常賃金との判別不可、対応時間不明、超過差額未払い
管理監督者職務権限、組織図、決裁権、勤怠裁量、待遇資料役職名だけで一律除外している

監査では、対象期間と対象者を先に定め、法的な計算ルールを固定した上で再計算します。途中で計算方法を変えると結果の比較ができなくなるため、前提となる労働時間制度、法定休日、賃金算定基礎、固定残業代の扱いを文書化しておくと整理しやすくなります。

18.未払残業代は「当分の間3年」だが、本則5年を前提に記録管理する

2020年4月1日以降に支払期日が到来する賃金について、賃金請求権の消滅時効期間は本則5年に延長されましたが、当分の間は3年とする経過措置が置かれています。時間外・休日・深夜労働の割増賃金も対象です。労働者名簿、賃金台帳その他の労働関係書類の保存期間も本則5年、当分の間3年とされています。

ただし、実際の紛争では、時効の完成猶予・更新、退職金など別の請求、他の証拠の必要性等もあり得ます。「法律上3年だから3年経過直後に全データを削除する」という設計は慎重に検討すべきです。会社の訴訟・監査・内部通報対応も考え、勤怠ログ、賃金計算根拠、36協定、雇用契約関係資料の保存方針を一体で決めます。

割増賃金の不払いが訴訟になった場合には、未払額だけでなく、一定の場合に付加金が問題となることもあります。請求を受けてから資料を探すのではなく、平時から再計算可能な記録を残しておくことが重要です。

19.長時間労働は賃金だけでなく健康確保の問題として管理する

長時間労働への対応は、36協定と残業代を満たせば終わりではありません。労働安全衛生法令上、週40時間を超える労働が1か月当たり80時間を超えた労働者については、その時間数を速やかに本人へ通知する仕組みがあり、一定の要件を満たす場合には医師による面接指導につなげます。

企業では、月80時間に達してから初めて対応するのではなく、より手前の水準で所属長・人事へアラートを出し、業務配分、応援要員、納期調整、有給休暇・休息の確保、産業医への情報提供等を検討する方が実効的です。長時間労働が継続する部署については、個人の体調だけでなく、業務量や人員配置という組織要因を見直します。

20.裁判例では「制度名」より実態と証拠が重視される

労働時間・残業代をめぐる裁判例を検討する際には、結論だけを取り出すのではなく、どのような事実と証拠が重視されたかを確認する必要があります。特に、次の論点では事実関係の違いが結論に直結します。

① 始業前準備、終業後作業、待機、研修等が使用者の指揮命令下にあったか

② 自己申告の勤怠とPCログ・入退室記録等が食い違う場合、会社が実態をどこまで把握していたか

③ 「管理職」とされた労働者が、実際に経営者と一体的な権限・責任・待遇を有していたか

④ 固定残業代について、通常賃金部分と割増賃金部分が明確に判別でき、超過差額が支払われていたか

⑤ 36協定の労働者代表が適法に選出され、協定の範囲内で時間外労働が行われていたか

判例を自社に当てはめるときは、「同じ役職名」「同じ制度名」ではなく、勤務実態、権限、会社の指示、記録、賃金設計を比較することが重要です。

21.企業が整備したい実務フロー

① 各事業場の法定労働時間制度と法定休日を確定する

② 36協定の有効期間、対象業務、上限、代表者選出記録を確認する

③ 就業規則・雇用契約上の時間外・休日労働命令の根拠を確認する

④ 勤怠、PCログ等を使い、労働時間を日々把握する

⑤ 月45時間・月60時間・月80時間・月100時間、年360時間・720時間等の節目を別々に管理する

⑥ 特別条項を発動する場合は、臨時的な事情と必要手続を記録する

⑦ 毎月、法定時間外・法定休日・深夜を区分して割増賃金を計算する

⑧ 固定残業代・管理監督者・変形労働時間制等の例外運用を定期監査する

⑨ 長時間労働者について健康確保措置・業務軽減を検討する

⑩ 乖離や未払いを発見した場合は、原因を特定して遡及是正と再発防止を行う

22.弊所が実務で重視するポイント

労働時間・残業代の相談では、最初から「未払額はいくらか」だけを計算するより、先に①どの労働時間制度が適用されているか、②どの記録を労働時間の根拠とするか、③法定休日をどう設定しているか、④固定残業代・管理監督者等の例外処理があるか、⑤36協定の起算日と上限をどう管理しているかを整理することが重要です。

特に、退職者から請求が来た後にPCログや入退室データが既に削除されていると、会社側も正確な事実認定が難しくなります。勤怠システムだけでなく、補助的な客観記録をどの期間保存するかを平時から決めておくことが、紛争予防と紛争対応の双方で有効です。

また、未払残業代が一部見つかった場合、対象者一人だけの個別問題なのか、給与計算ロジックや制度設計に共通原因があるのかを切り分けます。共通原因がある場合には、他の従業員や過去期間への波及も含めて早期に全体像を把握する方が、結果的にリスクを限定しやすくなります。

23.労働時間・36協定チェックリスト

  • 事業場ごとに有効な36協定が締結・届出されている
  • 過半数代表者は管理監督者ではなく、使用者の指名ではない
  • 代表者選出の目的・方法・結果を記録している
  • 36協定の対象業務・対象者・起算日が実態と一致している
  • 通常月の時間外労働は原則月45時間・年360時間以内で管理している
  • 特別条項の発動理由が臨時的かつ具体的である
  • 年720時間、月100時間未満、2〜6か月平均80時間、45時間超年6か月以内を別々に確認している
  • 法定休日と所定休日を給与計算上区別している
  • 月60時間超の法定時間外労働を50%以上で計算している
  • 深夜労働との重複時に割増率を適切に加算している
  • 固定残業代の金額・対応時間・超過差額支給が明確である
  • 管理監督者の対象者を役職名ではなく実態で確認している
  • 始業・終業時刻を客観的記録を基礎に把握している
  • 自己申告とPCログ等に大きな乖離があれば調査・補正している
  • 80時間超等の長時間労働者への健康確保フローがある
  • 勤怠・賃金・協定・契約資料を紛争時に再計算できる形で保存している

24.よくある質問(FAQ)

Q1.36協定がないまま残業させるとどうなりますか?

法定労働時間を超える時間外労働や法定休日労働をさせれば、原則として労働基準法違反となり、是正指導や罰則の対象となる可能性があります。まず協定を締結・届出した上で、その範囲内で運用します。

Q2.36協定を出せば、何時間でも残業させられますか?

いいえ。一般の事業では原則月45時間・年360時間であり、特別条項があっても年720時間、月100時間未満、2〜6か月平均80時間以内、45時間超は年6か月以内などの上限があります。

Q3.36協定は本社で1通出せば全支店をカバーできますか?

原則として事業場ごとに締結・届出します。本社、支店、工場等が別事業場に当たる場合は、それぞれの協定状況を確認してください。

Q4.会社が指名した社員を過半数代表者にできますか?

使用者の意向に基づいて選出された者は適切な過半数代表者とはいえません。36協定締結のための代表者を選ぶことを明らかにし、投票・挙手等の民主的手続で選出します。

Q5.特別条項を毎月使ってもよいですか?

特別条項は臨時的な特別の事情を前提とする制度です。また、一般の事業では月45時間を超えられるのは年6か月までです。恒常的な長時間労働を特別条項で処理する運用は見直しが必要です。

Q6.月100時間ちょうどなら上限内ですか?

一般の上限規制では、時間外労働と休日労働の合計は「100時間未満」である必要があります。100時間ちょうどは「未満」ではありません。

Q7.所定休日に働けば必ず35%の休日割増が必要ですか?

35%以上の休日割増が法定上必要なのは法定休日労働です。所定休日でも、週40時間を超えるなど法定時間外労働に当たれば時間外割増が必要になるため、休日区分と週の労働時間を確認します。

Q8.固定残業代を払っていれば追加の残業代は不要ですか?

いいえ。固定残業代部分が明確に判別でき、法定計算額以上である必要があります。不足する場合は差額を支払います。また36協定の上限管理も別途必要です。

Q9.管理職には一切残業代を払わなくてよいですか?

役職名だけでは決まりません。労基法上の管理監督者に実態として該当するかを確認する必要があります。また、管理監督者であっても深夜割増賃金は別途問題となります。

Q10.在宅勤務なら自己申告だけでよいですか?

客観的な方法で把握できる場合は、PCの使用記録等を基礎とする方法が基本です。自己申告を用いる場合も、客観記録との乖離を確認し、必要に応じて実態調査・補正を行います。

Q11.残業禁止命令を出せば、申告のない残業代は払わなくてよいですか?

形式的な禁止だけでは判断できません。会社が実際に業務を指示・黙認していたか、所定時間内に処理可能な業務量だったか、客観記録から業務従事が確認できるか等を具体的に検討します。

Q12.未払残業代の時効は3年ですか?

賃金請求権は本則5年に延長されていますが、当分の間3年とする経過措置があります。2020年4月1日以降に支払期日が到来する賃金が対象で、割増賃金も含まれます。

Q13.勤怠とPCログが違う場合、どちらを採用すればよいですか?

一律にどちらかを採用するのではなく、乖離理由と実際の業務従事を確認します。ログイン中の私的利用や離席もあれば、申告外の業務もあり得るため、複数資料を照合して事実を確定します。

Q14.長時間労働者への対応は残業代を払えば十分ですか?

いいえ。健康確保措置が別途必要です。週40時間を超える労働が月80時間を超える場合の通知・面接指導の仕組み等を整備し、業務軽減や配置調整も検討します。

25.弁護士への相談を検討したい場面

  • 退職者・在職者から未払残業代の請求書や内容証明を受けた
  • 労働基準監督署から調査、是正勧告、指導等を受けている
  • PCログ等を確認すると、勤怠申告より長い勤務が常態化している
  • 36協定の過半数代表者の選出手続に不備があった可能性がある
  • 特別条項の上限超過や月100時間・平均80時間超が疑われる
  • 固定残業代制度を全社的に見直す必要がある
  • 管理監督者として扱っている社員の範囲に疑義がある
  • 変形労働時間制・裁量労働制等の導入手続や運用に問題がある
  • 長時間労働と休職・メンタル不調・労災申請が結び付いている

請求を受けた後は、証拠となる勤怠・PCログ・メール・給与データ等を不用意に上書き・削除しないことが重要です。法的評価と再計算の前提を固定した上で、必要に応じて労務担当者・社会保険労務士・弁護士等と連携して対応します。

26.まとめ

労働時間・残業代と36協定の管理は、36協定を年1回提出するだけでは足りません。①協定の適法な締結・届出、②時間外労働を命じる労働契約上の根拠、③実労働時間の客観的把握、④上限規制の継続監視、⑤割増賃金の正確な計算、⑥長時間労働者の健康確保を、一つの仕組みとして運用することが重要です。

特に、固定残業代、管理監督者、変形労働時間制、テレワークなど「例外的に見える制度」は、要件や実態を誤ると未払残業代が長期間積み上がりやすい領域です。制度名ではなく、実際の働き方と証拠に基づいて定期的に点検することが、労基署対応・訴訟・労働審判を予防する基本となります。

27.主要な裁判例・一次資料・公式情報

※本稿は2026年9月14日時点の法令・厚生労働省公表資料を前提に整理しています。個別の事業・業務、労働時間制度、就業規則、36協定の内容によって適用関係は異なるため、実際の対応では最新の法令・行政資料と自社制度を確認してください。