IPO(株式上場)の準備では、監査法人や主幹事証券会社との対応、資本政策、社内管理体制、開示資料の作成など、多数の作業が並行して進みます。その中で法務は、契約書を整えるだけの作業ではありません。会社法上の手続、株主・役員関係、労務、知的財産、関連当事者取引、コンプライアンス、紛争、許認可など、上場審査や開示に影響し得る問題を早い段階で洗い出し、是正・説明できる状態にする役割があります。
東京証券取引所のグロース市場の上場審査では、企業内容・リスク情報等の開示の適切性、企業経営の健全性、コーポレート・ガバナンス及び内部管理体制の有効性、事業計画の合理性などが実質審査の対象とされています。また、東証は上場申請までに申請直前2期間分の監査証明が必要となる点を案内しています。
もっとも、国内IPOについて「顧問弁護士との契約がなければ上場できない」という一般的な上場要件があるわけではありません。重要なのは、会社が法務上の問題を自ら把握し、必要な是正を行い、主幹事証券会社・監査法人・取引所等からの確認に適切に対応できる体制を作ることです。そのため、社内法務だけで対応する会社もあれば、顧問弁護士やIPO案件を扱う外部弁護士を活用する会社もあります。
本稿では、IPO準備において外部弁護士がどのような場面で関与できるのか、いつから相談すべきか、監査法人・主幹事証券会社との役割分担をどう考えるかを実務的に整理します。
1.この記事が対象とする企業・担当者・場面
この記事は、次のような企業・担当者を主な対象としています。
- 数年以内のIPOを検討し始めた経営者・管理部門
- 主幹事証券会社や監査法人との協議を始める前後の企業
- 契約、労務、株主関係など過去の法務対応に不安がある企業
- スタートアップで資本政策・新株予約権・投資契約が複雑になっている企業
- 急成長により社内規程や権限管理が追いついていない企業
- 社内法務担当者はいるがIPO特有の論点は外部弁護士に相談したい企業
- 既に上場準備中で、主幹事証券会社・監査法人から法務面の改善を求められている企業
顧問弁護士の一般的な役割ではなく、本稿ではIPO準備に固有の法務課題と外部弁護士の関与に焦点を当てます。
2.IPO準備で法務が重要になる理由
2-1.上場審査は「契約書があるか」だけを確認するものではない
上場審査では、会社が上場会社として継続的に適切な経営・開示を行えるかが問題になります。例えばグロース市場では、企業経営の健全性、コーポレート・ガバナンス及び内部管理体制の有効性、企業内容・リスク情報等の開示の適切性などが審査対象です。
そのため、法務上の問題が一件あるから直ちにIPOが不可能になる、という単純な関係ではありません。問題の性質・金額・継続性・会社の対応状況・再発防止策・開示の必要性などを整理し、会社として適切に管理できているかが重要になります。
2-2.IPO直前では修正しにくい問題が多い
IPO準備で問題となる法務事項の中には、短期間では解消しにくいものがあります。例えば、長期間運用してきた不適切な労務管理、株主間の権利関係、無断利用している知的財産、重要契約の名義・更新漏れ、関連当事者との不透明な取引、必要な許認可の不足などです。
このため、IPOを具体的に申請する段階になって初めて法務調査をするのではなく、上場準備を始める段階で一度棚卸しを行い、修正に時間がかかる事項から着手することが重要です。
3.顧問弁護士はIPOの「必須関係者」なのか
国内IPOでは、監査法人や主幹事証券会社が上場準備における主要な関係者として位置づけられています。東証の案内では、監査法人・公認会計士は会計監査を行い、主幹事証券会社は資本政策や社内体制整備への助言、引受審査、上場手続の支援等を担います。
一方、一般的な国内IPOについて、会社が常に顧問弁護士を選任していなければならないという上場要件ではありません。そのため、「IPOをするなら顧問弁護士は法的に必須」と説明するのは正確ではありません。
ただし、上場準備では、会社法、労働法、契約、知的財産、個人情報、許認可、訴訟・紛争など、監査法人や証券会社だけでは法律意見を完結できない事項が発生します。社内に十分な法務体制がない場合や、複雑な論点がある場合には、外部弁護士を継続的に利用する実務上の必要性が高くなります。
| 関係者 | IPO準備での主な役割 | 法務との関係 |
|---|---|---|
| 申請会社 | 社内体制整備、資料作成、事実説明、意思決定 | 法務論点を把握し、必要な是正・資料整備を実施 |
| 監査法人・公認会計士 | 財務諸表監査、会計・内部管理面の指導 | 法律判断が必要な論点について会社・弁護士と連携 |
| 主幹事証券会社 | 資本政策・体制整備助言、引受審査、上場手続支援 | 法務指摘や上場説明に必要な事項を共有・整理 |
| 顧問・外部弁護士 | 法律調査、契約・規程整備、法務DD、紛争対応 | 他関係者と連携し、法務論点を調査・是正・説明 |
重要なのは、顧問弁護士にIPOプロジェクト全体を丸投げすることではありません。主幹事証券会社、監査法人、社内管理部門、外部弁護士が、それぞれの専門領域を分担しながら連携することが基本です。
4.IPO準備で弁護士が関与する主な法務領域
IPO準備において弁護士が確認・支援する領域は、会社の事業内容や成長過程によって異なります。代表的には次のように整理できます。
| 法務領域 | 主な確認事項 | 弁護士の主な支援 |
|---|---|---|
| 会社組織・株式 | 定款、株主、増資、新株予約権、投資契約、議事録 | 過去手続・証憑を確認し、不備の是正方針を検討 |
| 重要契約 | 主要取引、解約、COC、独占、知財、損害賠償等 | 契約リスクの優先順位付け、再締結・修正交渉 |
| 労務 | 労働時間、残業代、36協定、ハラスメント、退職等 | 法令・規程と実態の差を確認し、是正方法を設計 |
| ガバナンス・内部管理 | 取締役会、職務権限、稟議、内部監査、内部通報 | 規程整備だけでなく、実際の承認・監査運用を確認 |
| 関連当事者取引 | 役員・主要株主・親族会社との取引、貸借・資産利用 | 利益相反手続、契約条件、継続・解消方針を整理 |
| 知財・IT・個人情報 | 商標・特許・著作権、開発契約、OSS、個人情報 | 権利帰属・利用許諾・データ利用ルールの整備 |
| 許認可・業法 | 許認可、届出、業法規制、事業変更による影響 | 規制該当性・必要手続の確認、行政照会等の支援 |
| 紛争・コンプライアンス | 訴訟、労働紛争、行政対応、重大クレーム、反社・通報 | 事実整理、法的評価、交渉・是正、開示論点の整理 |
この表のすべてを顧問料の範囲内で対応するとは限りません。法務デューデリジェンス、大規模な規程整備、株主間紛争、訴訟、複雑な資本政策、上場申請書類のレビューなどは、別案件として見積りを行うことがあります。
5.契約管理:重要契約を「説明できる状態」にする
IPO準備では、主要な取引先、仕入先、業務委託先、販売代理店、ライセンサー等との契約関係を整理する必要があります。重要なのは、契約書の文言をきれいに統一すること自体ではなく、会社の事業がどの契約に依拠し、どのようなリスクがあるかを把握することです。
確認対象には、契約当事者・名義、契約期間、自動更新、中途解約、独占・競業、最低購入義務、知的財産、個人情報、損害賠償、チェンジ・オブ・コントロール、再委託、準拠法・裁判管轄などがあります。
例えば、会社の売上の大部分を占める取引について相手方が短期間で自由に解約できる契約になっている場合、それ自体が直ちに不適切とは限りませんが、事業継続上の重要なリスクとして説明・管理が必要になることがあります。また、実際の取引と契約書の内容が一致していない場合は、契約変更や運用是正を検討します。
顧問弁護士には、契約台帳を作るだけでなく、「重要契約をどう定義するか」「どの条項を優先して是正するか」「既存契約を変更できない場合に何を代替策とするか」まで相談すると実務的です。
6.資本政策・株主・新株予約権:過去の経緯まで確認する
スタートアップでは、複数回の資金調達、種類株式、新株予約権、株主間契約などが積み重なっていることがあります。IPO準備では、現在の株主名簿だけでなく、過去の発行手続や契約関係を含めて確認することが重要です。
典型的な確認事項としては、株式・新株予約権の発行決議、払込み、種類株式の内容、株主間契約、投資契約、譲渡制限、買取条項、優先権、役員指名権、事前承諾事項、ストックオプションの発行・付与・行使状況などがあります。
ここでは、弁護士だけでなく、司法書士、税理士、公認会計士、主幹事証券会社等との連携が必要になることがあります。特にストックオプションについては、会社法上の手続、税務、会計処理がそれぞれ異なる専門領域にまたがります。
IPO直前に初めて過去の議事録や払込資料を探すのではなく、資本政策の見直しを始めた段階で証憑をそろえておくことが重要です。
7.労務:未払残業代だけでなく運用全体を見る
IPO準備の労務確認では、「就業規則があるか」だけでは足りません。実際の労働時間管理、固定残業代、管理監督者の扱い、36協定、年次有給休暇、安全衛生、ハラスメント、休職・復職、退職・解雇、業務委託者との区分など、実態との整合性が重要です。
特に急成長企業では、創業期の柔軟な運用がそのまま残り、従業員数が増えた後も例外処理が続いていることがあります。法務上問題がある場合は、単に規程を差し替えるだけでなく、過去分のリスク、対象者、是正方法、社内説明、再発防止を検討します。
また、公益通報者保護法では、現行法上、常時使用する労働者が300人を超える事業者に内部公益通報対応体制の整備等が義務付けられ、300人以下の事業者については努力義務とされています。さらに、2026年12月1日には令和7年改正法と改正指針が施行され、通報妨害や通報者の探索を防止するための措置なども追加されます。IPO準備では法定義務の有無だけでなく、施行時期も踏まえ、会社規模・事業リスクに応じて内部通報制度を実効的に運用できるかを確認することが重要です。
8.コーポレート・ガバナンスと内部管理体制
東証の上場審査では、コーポレート・ガバナンス及び内部管理体制が会社の規模・成熟度等に応じて整備され、適切に機能しているかが確認されます。単に規程を作成しただけではなく、実際に取締役会や内部監査、承認手続等が運用されていることが重要です。
法務面では、定款、取締役会規程、職務権限規程、稟議規程、関連当事者取引管理、情報管理、内部通報、コンプライアンス、反社会的勢力排除等のルールが相互に矛盾していないかを確認します。
顧問弁護士が関与する場合も、規程を一式作って終わりではありません。実際の会社規模に合っているか、誰が承認するのか、例外時の処理はどうするのか、取締役会でどの事項を報告するのかなど、運用可能性まで確認する必要があります。
なお、金融商品取引法上の内部統制報告制度は上場会社に関係する制度ですが、「IPO準備会社は上場申請前から一律にJ-SOX監査を受けなければならない」と整理するのは正確ではありません。上場前の内部管理体制整備と、上場後の内部統制報告制度・監査証明の適用関係は分けて確認する必要があります。
8-1.上場準備では「異常兆候を把握した後の対応」も重要になる
最高裁判所第三小法廷令和2年12月22日判決(平成30年(受)第1961号)は、東証マザーズへの上場に際して提出された有価証券届出書の財務諸表に多額の架空売上げが含まれていた事案で、主幹事証券会社の金融商品取引法上の責任が争われたものです。最高裁は、元引受業者が引受審査の際に、監査の信頼性の基礎に重大な疑義を生じさせる情報に接した場合には、その疑義の内容等に応じて、監査が信頼性の基礎を欠くものではないことについて調査確認を行わなければ、同法21条2項3号による免責を受けることはできないとしました。
本件では、会社の売上げの大半が架空計上によるものであると指摘する匿名の投書が2回届いていました。投書の内容は、売上高の急増、売上げの計上時期の偏り、売掛金残高の著しい増加、売上債権回転期間の長期化、営業活動によるキャッシュ・フローのマイナスといった、会社について既に把握されていた複数の状況とも符合し、粉飾決算の手法等を具体的かつ詳細に指摘するものでした。しかも、投書の作成者と考えられた人物は内部監査室長を務めていた者でしたが、主幹事証券会社はその人物から事情を聴取せず、会社側の提案に従って選定した取引先への訪問や、証ひょう類の写しの相互に矛盾がないことの確認等にとどまりました。最高裁は、投書の信ぴょう性の評価を大きく誤り、疑義の内容等に応じた調査確認を行ったとはいえないと判断しました。
この判決が直接判断したのは主幹事証券会社(元引受業者)の金融商品取引法上の責任であり、IPO準備会社や顧問弁護士一般に同一内容の調査義務を課したものではありません。もっとも、重大な疑義を示す情報を形式的な確認だけで処理しないという点は、発行会社側が内部通報・内部監査・不正兆候への対応手順を設計する際にも重要な実務上の示唆になります。監査済みの財務諸表や社内規程が形式上そろっているだけでなく、重大な疑義が生じたときに、誰が事実を確認し、どこまで追加調査を行い、主幹事証券会社・監査法人等へどのように説明するかまで定めておくことが重要です。
実際、東京証券取引所・日本取引所自主規制法人は、近年の新規上場時の会計不正事例を踏まえ、2025年12月に取引所としての対応を公表し、2026年3月には監査法人・証券会社等を含むIPO関係者の対応策を取りまとめています。上場準備会社の役職員向け通報窓口の周知や、経営者向けの啓発資料も検討・整備されており、形式的な規程整備だけでなく、不正兆候を把握した後に実際に調査・是正できる体制の重要性は一層高まっています。
重大な内部通報や不正兆候を把握した場合には、①関係資料・データを保全する、②疑義の対象者を調査指揮系統から必要に応じて切り離す、③事実確認の範囲と担当者を定める、④法務・会計・上場審査への影響を評価する、⑤是正策と再発防止策を決める、⑥主幹事証券会社・監査法人等への報告・説明内容を事実に基づき整える、という流れを意識すると実務的です。案件によっては、社外役員、監査役、外部弁護士、公認会計士等を含む独立性のある調査体制が必要になります。
顧問弁護士・外部弁護士には、必要に応じて、事実関係と法的論点の整理、調査方法の設計、是正策の検討、関係者への説明整理を依頼することが考えられます。
9.関連当事者取引・役員関係を整理する
創業者や役員と会社との間に、事務所賃貸、資金貸借、個人所有資産の利用、親族会社との取引、経費立替などが残っていることがあります。関連当事者取引があること自体から直ちに問題となるわけではありませんが、取引の必要性・条件の妥当性・意思決定手続・継続方針等を説明できる状態にする必要があります。
上場準備では、役員・主要株主・関係会社との取引を一覧化し、会社法上の利益相反取引に該当するか、必要な承認を得ているか、契約書・証憑があるか、今後も継続する合理性があるかを確認します。
顧問弁護士は、単に「関連当事者取引をなくす」と判断するのではなく、取引の必要性や代替可能性を踏まえ、承認・条件変更・解消・開示等の対応を検討します。
10.知的財産・IT・個人情報:事業の基盤を会社が確保しているか
SaaS、IT、コンテンツ、研究開発型企業では、事業価値の中心がソフトウェア、データ、商標、特許、ノウハウ等にあることがあります。その場合、会社が必要な権利を本当に保有・利用できるかは重要です。
確認事項には、創業者・従業員・業務委託先からの知的財産の帰属、OSSの利用、商標登録、共同開発契約、ライセンス条件、秘密情報管理、個人情報の取得・利用・第三者提供、外部クラウドやAIサービスの利用などがあります。
創業初期に口頭合意や簡易契約で開発を進めていた場合、後から権利帰属を整えようとしても相手方との再交渉が必要になることがあります。IPO準備を契機に、主要なプロダクト・ブランド・データについて「誰の権利か」「どの契約を根拠に利用しているか」を整理することが重要です。
11.許認可・業法規制:事業モデルと実際の運用を照合する
金融、人材、医療・ヘルスケア、通信、旅行、古物、建設、広告、決済その他の規制業種では、必要な許認可や届出が適切かを確認します。サービス開始時には問題がなかったものの、機能追加、対象顧客の変更、収益モデルの変更により規制関係が変わっていることもあります。
顧問弁護士に相談する場合は、許認可証の有無だけでなく、実際の事業フロー、契約主体、金銭・資産の流れ、広告表示、外部委託の状況まで共有することが重要です。必要に応じて行政機関への照会や専門家との連携も検討します。
12.紛争・クレーム・行政対応:存在よりも把握と対応が重要
IPO準備中に訴訟、労働紛争、取引先との重大なクレーム、行政調査等がある場合、会社として事実関係、請求内容、金額、見通し、対応方針を整理する必要があります。
紛争が存在すること自体を理由に一律にIPOができなくなるわけではありません。重要なのは、その問題が事業・財務・レピュテーション等にどの程度影響するか、会社が適切に把握・対応しているか、開示が必要な事項を正確に説明できるかです。
顧問弁護士が既に紛争対応を担当している場合、IPOチームへ何を共有できるか、訴訟上の戦略や秘密情報との関係を踏まえながら整理します。
13.IPO準備のどの段階から弁護士を関与させるか
「IPOの3年前から必ず顧問弁護士を付ける」といった一律のルールはありません。ただし、東証は上場申請までに申請直前2期間分の監査証明が必要になる点を案内しており、上場準備は短期間で完結するものではありません。法務面でも、是正に時間がかかる事項を考えると、上場申請直前より早い段階で棚卸しを行う方が合理的です。
| 段階 | 法務の主な作業 | 弁護士の活用例 |
|---|---|---|
| 検討初期 | 過去の株式・労務・知財・許認可等の概況確認 | 上場障害になり得る重大論点を早期発見 |
| 監査・主幹事選定前後 | 株主・契約・労務・規程・許認可等を網羅的に棚卸し | 法務DD、優先順位付け、主幹事・監査法人との論点共有 |
| 直前期 | 指摘事項の是正完了、運用実績・証跡の蓄積 | 規程・契約の最終整備、重要案件の説明資料作成 |
| 申請期 | 審査質問への回答、残論点の是正、説明整理 | 審査質問・開示との整合を確認し、追加是正に対応 |
特に、株主関係、未払残業代、知的財産の帰属、許認可、関連当事者取引などは、問題を発見してから解消まで時間を要する可能性があります。IPOの具体的な時期が確定していなくても、将来的な選択肢として上場を考え始めた段階で「上場の障害になり得る法務論点がないか」を確認しておく意味があります。
14.顧問弁護士とIPO専門の外部弁護士をどう使い分けるか
日常的な顧問弁護士が会社の契約・労務・紛争・事業内容をよく理解している場合、IPO準備でも重要な役割を果たせます。一方、上場申請書類、証券規制、複雑な資本政策、大規模な法務デューデリジェンスなど、案件によってはIPO経験のある別の法律事務所を利用することもあります。
この場合、「現在の顧問を外してIPO専門事務所へ一本化する」「すべてを顧問弁護士が担当する」の二択ではありません。日常顧問が過去の経緯や通常法務を担当し、IPO専門弁護士が特定プロジェクトを担当するなど、役割分担を設計できます。
複数事務所を使う場合は、誰が法務論点の一覧を管理するか、主幹事証券会社・監査法人からの質問を誰が受けるか、同じ問題について回答が食い違わないよう誰が最終調整するかを明確にします。
15.IPO準備で法務デューデリジェンスを行うときの進め方
IPO準備の初期段階では、会社の法務リスクを網羅的に把握するため、一定範囲の法務デューデリジェンスや法務監査を行う方法があります。
対象は、会社組織・株式、重要契約、労務、知的財産、許認可、訴訟・紛争、個人情報、関連当事者取引、コンプライアンス等です。
重要なのは、問題点を列挙した報告書を作るだけで終わらないことです。各論点について、①上場準備への影響、②修正の必要性、③担当部署、④期限、⑤必要資料、⑥主幹事証券会社・監査法人等への説明方針を整理し、是正管理表へ落とし込みます。
法務デューデリジェンスは「問題がないことを証明する作業」ではなく、問題を早期発見し、対応可能な状態にするための作業と考える方が実務的です。
16.IPO準備法務チェックリスト
- 定款・登記事項・株主名簿の内容が一致している
- 過去の増資・新株予約権発行等の決議・払込資料が整理されている
- 株主間契約・投資契約の存続条項や上場時の扱いを確認している
- 主要契約を特定し、契約期間・解除・COC等を確認している
- 実際の取引と契約書の内容が一致している
- 重要な業務委託先・ライセンサーとの契約が整備されている
- 労働時間、固定残業代、管理監督者等の運用を確認している
- 就業規則・36協定・社内規程と実態が整合している
- ハラスメント・内部通報等の相談体制を確認している
- 関連当事者取引を一覧化し、承認・条件・必要性を確認している
- 取締役会・株主総会等の議事録が整理されている
- 職務権限・稟議・契約承認のルールが実際に運用されている
- 主要な商標・特許・著作権・ソフトウェア等の権利関係を確認している
- 従業員・業務委託先から必要な知的財産権を確保している
- 個人情報・データ利用のルールと実際のサービスが整合している
- 必要な許認可・届出を最新の事業内容に照らして確認している
- 訴訟・労働紛争・重大クレーム・行政対応を一覧化している
- 反社会的勢力排除・コンプライアンス体制を確認している
- 主幹事証券会社・監査法人からの法務指摘を管理している
- 指摘事項について担当者・期限・是正証跡を残している
17.弊所の実務上の視点:IPO法務は「直す」より「説明できる状態を作る」
IPO準備では、すべての契約や社内制度を理想的な形に作り変えることが目的ではありません。会社の規模・事業・沿革によって、既存の契約条件や過去の経緯を完全には変更できないこともあります。
重要なのは、会社自身が重要なリスクを把握し、「なぜこの契約条件なのか」「どのようなリスクが残るのか」「何を是正したのか」「今後どのように管理するのか」を一貫して説明できる状態にすることです。
弊所では、IPO準備に弁護士を関与させる場合も、単に規程や契約書を増やすのではなく、主幹事証券会社・監査法人・社内担当者との役割分担を明確にし、指摘事項を期限と証拠付きで管理できる仕組みにすることが重要だと考えています。
また、上場準備中は新規事業や大型契約が止まるわけではありません。IPOプロジェクトに追われて通常の契約・労務・事業法務が後回しになると、新しい問題が増えることがあります。IPO対応と日常法務を切り離さず、継続的に管理することも顧問弁護士を利用する意義の一つです。
18.FAQ
Q1.IPO準備に顧問弁護士は必須ですか?
国内IPOについて、顧問弁護士との契約が一律の上場要件になっているわけではありません。ただし、上場準備では会社法、契約、労務、知財、許認可、紛争等の法律問題が生じるため、社内で対応できない部分を外部弁護士に依頼する必要性は高くなります。
Q2.IPO準備は何年前から始めるべきですか?
一律に「何年前」と決まっているわけではありません。東証は、上場申請までに申請直前2期間分の監査証明が必要となる点を案内しています。法務上の是正にも時間がかかるため、上場申請直前ではなく、上場準備の初期段階で法務棚卸しを行うことが有効です。
Q3.監査法人がいれば法務確認もしてもらえますか?
監査法人は主として会計監査や会計面・内部管理体制等の指導を担います。契約の有効性、労働法、会社法、知的財産、訴訟等の法律判断は、必要に応じて弁護士へ確認します。
Q4.主幹事証券会社と顧問弁護士の役割はどう違いますか?
主幹事証券会社は上場準備全体への助言、引受審査、上場手続等を担います。弁護士は法律問題の調査・助言、契約や規程の整備、紛争対応等を担当します。両者は競合するのではなく、役割が異なります。
Q5.社内法務部があれば外部弁護士は不要ですか?
社内で十分対応できる範囲について外部委託する必要はありません。一方、IPO特有の論点、訴訟、複雑な資本政策、専門業法等について外部弁護士を利用することがあります。
Q6.IPO準備で法務デューデリジェンスは必須ですか?
すべての会社について同一形式の法務DDが法定必須というわけではありません。ただし、重要な法務リスクを体系的に把握する方法として有効です。範囲は会社の規模・事業・既存の管理体制に応じて設計します。
Q7.上場前にすべての契約書を作り直す必要がありますか?
通常はありません。重要性・リスクに応じて優先順位を付けます。主要取引や事業継続に重要な契約から確認し、必要なものを是正します。
Q8.過去の契約書が見つからない場合はどうしますか?
取引実態、請求書、メール、発注書等から関係を確認し、必要に応じて契約を再締結・確認書を作成するなどの対応を検討します。重要契約ほど早めに着手する必要があります。
Q9.未払残業代の可能性があるとIPOできませんか?
その事実だけで一律に結論は決まりません。金額、対象期間、対象者、原因、是正状況、再発防止等を把握し、会社として適切に対応する必要があります。
Q10.内部通報制度はIPO企業に必須ですか?
現行法上、常時使用する労働者が300人を超える事業者には内部公益通報対応体制の整備等が義務付けられ、300人以下では努力義務です。また、2026年12月1日に改正公益通報者保護法と改正指針が施行されるため、同日以降の運用については改正内容も確認する必要があります。IPO準備では法定義務の有無に加え、会社規模やリスクに応じた実効的な体制を検討します。
Q11.J-SOXはIPO申請前から必須ですか?
上場前の内部管理体制整備と、上場後の金融商品取引法上の内部統制報告制度は分けて考える必要があります。上場準備では内部管理体制の整備・運用が重要ですが、「申請前から一律にJ-SOX監査が法的に必須」とは言えません。
Q12.株主間契約は上場前に終了させる必要がありますか?
契約内容によります。上場時に終了する条項がある場合もあれば、個別に整理が必要な場合もあります。投資契約・種類株式等との関係を含めて確認します。
Q13.ストックオプションに問題がある場合はどこを確認しますか?
発行決議、割当、行使条件、登記、契約、税務・会計処理等を確認します。弁護士だけで完結しないため、司法書士、税理士、公認会計士等との連携が必要になる場合があります。
Q14.訴訟中でもIPOできますか?
訴訟があるだけで一律に上場できないわけではありません。請求額、事業への影響、見通し、開示の必要性、対応状況等を整理する必要があります。
Q15.関連当事者取引はすべて解消する必要がありますか?
一律にすべて解消すべきとは限りません。取引の必要性、条件の妥当性、承認手続、継続の合理性等を確認し、必要に応じて条件変更・解消・管理方法の見直しを行います。
Q16.IPO準備中に新規事業を始めてもよいですか?
可能ですが、新規事業に伴う許認可、契約、個人情報、会計処理等が既存の上場準備に影響することがあります。早い段階でIPO担当者・主幹事証券会社・監査法人・弁護士等へ共有することが重要です。
Q17.IPO専門弁護士と現在の顧問弁護士は併用できますか?
可能です。通常法務とIPO固有のプロジェクト業務を分ける方法があります。その場合、質問窓口と最終的な論点管理責任を明確にします。
Q18.顧問料だけでIPO法務をすべて対応できますか?
契約内容によります。法務DD、規程の全面整備、資本政策、上場申請関連の大規模レビュー等は、通常の月額顧問とは別料金となることがあります。着手前に範囲と費用を確認します。
Q19.上場準備中に法務問題が見つかったら、主幹事証券会社へすぐ伝えるべきですか?
問題の内容や重要性によります。隠してよいという意味ではありませんが、事実関係が不明確な状態で誤った説明をすることも避けるべきです。社内と弁護士で事実を確認し、主幹事証券会社等への適切な報告・説明方法を検討します。
Q20.上場後も顧問弁護士は必要ですか?
上場後は適時開示、株主総会、ガバナンス、インサイダー取引規制、継続的な契約・労務・紛争等の課題があります。必要な外部法務体制は、社内法務の規模や事業内容に応じて検討します。
19.弁護士への相談を検討した方がよい場面
次のような場合には、IPO準備に関する法務相談を早めに行うことが考えられます。
- 将来のIPOを検討し始めたが法務課題の全体像が分からない
- 過去の株式・新株予約権発行の資料が十分整理されていない
- 株主間契約・投資契約が複数存在する
- 重要契約が口頭・発注書・メールだけで運用されている
- 労働時間・固定残業代・管理監督者等に不安がある
- 創業者・役員・親族会社との取引が多い
- ソフトウェアやコンテンツの権利帰属が明確でない
- 事業に必要な許認可・業法規制の確認に不安がある
- 訴訟、労働紛争、行政調査、重大クレームがある
- 主幹事証券会社・監査法人から法務改善事項を指摘された
20.まとめ
IPO準備において、顧問弁護士は国内上場の一律の法定必須要件ではありません。しかし、上場審査で確認される企業経営の健全性、コーポレート・ガバナンス・内部管理体制、企業内容やリスク情報の適切な開示を支えるためには、会社法、契約、労務、知的財産、許認可、紛争等の法務課題を適切に把握・是正する必要があります。
外部弁護士を利用する場合は、IPO申請直前に大量の契約書を確認してもらうだけではなく、早い段階で法務リスクを棚卸しし、重要度と期限を付けて是正することが重要です。また、監査法人・主幹事証券会社・社内管理部門と役割を分け、同じ論点について一貫した説明ができる体制を作る必要があります。
IPO法務の目的は、「問題が一つもない会社」に見せることではありません。問題を把握し、必要な対応を行い、残るリスクを正確に説明し、上場後も管理できる状態を作ることです。顧問弁護士は、その法的な整理と継続的な是正を支える外部専門家として活用することができます。
21.主要な裁判例・一次資料・公式情報
- 最高裁判所第三小法廷令和2年12月22日判決(平成30年(受)第1961号)
- 日本取引所グループ「新規上場ガイドブック(グロース市場編)」
- 日本取引所グループ「上場審査基準概要(グロース市場)」
- 日本取引所グループ「上場スケジュール」
- 日本取引所グループ「上場関係者と役割」
- 日本取引所グループ「コーポレートガバナンス・コード」
- 金融庁「内部統制報告制度」関係資料
- 消費者庁「公益通報者保護法に関するQ&A」
- 日本取引所グループ「新規上場時の会計不正事例を踏まえたIPO関係者の対応について」
- 消費者庁「公益通報者保護法と制度の概要(令和7年改正)」
- e-Gov法令検索「会社法」「金融商品取引法」「労働基準法」